煩悩の嵐
今年は暖かいためか、紅葉する前にもみじが7割程散ってしまいました。
落ち葉拾いも大変なので、お得意のAmazonでマキタのブロワー(ドライヤーのデカイやつ)を買って、葉っぱを台風並の風圧でかき集め、大変合理的に楽チンに掃除ができたのですが、、
「掃けば散り、払えばまたも塵積もる 人のこころも 庭の落ち葉も」(道歌)
の歌を思い出したました。
掃除とは、始終自分に沸き起こる煩悩を見つめる行であることを。
そして、良寛和尚の「散る桜 残る桜も 散る桜 」の歌を。
合理性は、葉っぱのフレディを、面倒だ、どうせ散るんだから揺らして落としてしまえという根性です。
そんな根性は、相模原障害者施設殺傷事件と根底を共にするものです。
草も駆除する雑草と、愛でる山野草を選別する心。
塵積みあがった合理性の塊のごとき私が煩悩の風を巻き起こしながら。
#蔵前陵苑
#藤井風
#あすありと思ふ心のあだ桜夜は嵐の吹かぬものかは