第4回 0からはじめる 仏教の学校
第4回 0からはじめる 仏教の学校
お経ってなんだろう「生き方を開く物語」が開催されました。
今回の学校では、救いとは「自覚」であるということを聞かせていただきました。
たすかって行くということは、自己都合で生きる迷妄性を破って開かれる、「ほんとう」に出遇うという「自覚」である。
経教は、喩うるに鏡のごとし、鏡に映る、自身のほんとうの姿を知らされるということは、大変厳しいことだけれど、煩悩の身に慚愧して、今までの思いが翻って、その身そのままで、たすかっていく世界が開かれるのだと。
それはきっと、光太郎が言うように、煩悩を止めることも、忘れることもできないけれど、その傷みを懺悔し、煩悩の身のまま、泣くも笑うもみんなと一緒に、最低にして最高の道を歩む者となるのだと。
最低にして最高の道 高村光太郎
もう止さう。
ちひさな利欲とちひさな不平と、
ちひさなぐちとちひさな怒りと、
さういううるさいけちなものは、
ああ、きれいにもう止さう。
わたくし事のいざこざに
見にくい皺を縦によせて
この世を地獄に住むのは止さう。
この世の抜駆けはもう止さう。
さういふ事はともかく忘れて
みんなと一緒に大きく生きよう。
見えもかけ値もない裸のこころで
らくらくと、のびのびと、
あの空を仰いでわれらは生きよう。
泣くも笑ふもみんなと一緒に
最低にして最高の道をゆかう。