光のしつらえ

「無量光」
その時、その場所に
いたからこそ見える光

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眞敬寺の一階、エントランスの扉を開いたその先に「無量光」はあります。
地上七階から地下一階に続く建物を天から地へと繋ぐラインのたもとに、天上から降り注ぐ光を受けとめる「光の集合体」として「無量光」は作られました。

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「無量光」その名前は「無量寿光」にちなんでつけられています。「無量寿光」とは、量ることのできないほどにあふれる光、量ることのできないほどに尊い寿(いのち)、浄土真宗の本尊である阿弥陀如来そのものを表しています。

「無量光」は、眞敬寺を再建するにあたりクリエイティブディレクションをお願いさせていただいた小沼訓子さんによってデザインされました。
「眞敬寺の中心に置かれ、心臓のように、光を吸っては送り出し、エネルギーを生み出す。そんな場となるよう願を込めて制作しました」小沼さんが「無量光」に込められた想いです。

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錫の板でつくられた「無量光」の制作に携わってくださったのは、眞敬寺から歩いて10分程のところにある田代合金所です。

隅田川に面した町、蔵前には、様々な職人が集う地として、かつてはいくつもの工房がありました。時代の流れとともに、その多くが姿を消していく中、地域に根ざした技術を絶やすことなく守っていきたいという、釋朋宣住職の地産への思いが繋がり、形になったものでもありました。

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路地を入ったショールームの奥、小さな扉を開けると、息づくように田代合金所の作業場はあります。現在、取締役をつとめる田邊晴代さんのおじいさまが大正三年に創業した、活版印刷で使われる活字の地金の制作が、そのはじまりでした。

大きな印刷所が立ち並ぶ地から、神田川を通じて流れが入りこむ隅田川沿いにあるこのあたりには、活版の地金を作る合金所がたくさんあったといいます。

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印刷技術の変化とともに活字地金の需要も減っていき、次々と合金所がなくなっていく中、アクセサリーの制作を手がけるなどの時期を経て、田代合金所がたどりついたのが、室内装飾物の制作でした。様々な形態や文様から生みだされる装飾物により、現在、国内外の多くの事例を手がけています。100年以上に渡って受け継がれてきた技術と、それらをしなやかに変容させる感性があってはじめて生みだされたものでした。先代が築いた技術を今の時代にも必ず生かすことができる、その一心により突き動かされてのことでした。

「無量光」は、二種類の形、三種類の模様の錫の板でつくられています。それらの錫の板を組み合わせることによっていくつものパターンが生まれ、そこに光が映しだされます。

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それぞれの錫の板に光沢の変化を作りだすのは、鋳造の技術です。錫はとてもやわらかい金属です。同じ材料を使いながら、とても薄い型に流し込むことによって、色合いや質感に違いが生まれます。

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時代の流れに合わせ、作りだされる物は形を変えていかなくてはなりません。しかし様々な過程を経てもなお、作りだされる物の奥には、先代から引き継がれ、そして次の世代へと受け渡される、長い年月をかけて培われた技巧が、大切にしっかりとしまわれています。

整えられた作業場には、いくつもの道具が置かれています。鋳造の技術を支える道具です。そのすべてを使い分けていく経験が必要になります。

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代表取締役である田邊豊博さんはいいます。「溶けてる金属はエネルギーにあふれています。地球の真ん中、マグマに近いところでは、様々な物質がすごいエネルギーを発して溶けています。人間はけっして手に触れることはできないけれど、その中からほんの一部、地表にでてきたものを私たちは使わせてもらっています。あふれるエネルギーの一部を使わせてもらっている、そんな気持ちでいます。だからすべて使います。制作過程の中で削られてでたものは、溶かして使いますし、酸化した材料も製錬所にもどして、そこでまた、使うことのできる形にしてもらうんです」

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広大な宇宙に誕生した星、地球。星が形作られる流れの中で地球の真ん中に生みだされた物質。それらが、何十億年という時を経て今、姿を変え、様々な人の手を渡りながら、「無量光」という形になって、私たちの目の前にあります。それは、地球というこの星の一片そのものなのかもしれません。

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古くから続く手仕事の現場で、かつて使われていた道具が、あるいは先代が着ていた作業服といったものが、大切に置かれているのを目にすることがあります。それらは、次の世代を見守る先代の姿であるように、静かに佇んでいます。その存在が、手仕事に携わるすべての世代の職人をこれまで続いてきた今とこれからも続いていく今に渡り、繋いでくれているような気がします。

最後に、田邊さんがそっとだしてきてくださったのは、80年前に使われていたという手秤でした。

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ふと見あげた空のむこうに、またあるときは開け放たれた窓辺に、そして人との出会いの中で、人は「光」にめぐり遇います。きらめく美しい光を見たとき、私たちの中には、自然と感謝の気持ちが湧きあがってきます。これまであった苦しいことも、哀しいことも含めて、まったく関係ないように見えていたすべての事象、すべての万象が、その光を見せてくれるために、その時、その場所の「今」という一点に、私たちを導いてくれたような気持ちになります。それは、その時、その場所にいたからこそ見えた「光」になります。それこそが、いつでもない今、どこでもないここに、だれでもない私が、自分自身の「光」に出遇うということなのかもしれません。

世界に「量り無き光」が
満ちることを祈って。
光とは、譬えれば、いのちであり、
真実であり、本当の自分。
光に出遇うことができるお寺にしたい
という釋朋宣住職の志を聞き、
眞敬寺の中心に置かれるものは、
光のエネルギーを集めては
送り出す媒体であればと考えました。
ときに声明の響きのように
きらめく水面のように
雲間から降り注ぐ光のように
皆さんの心を映し出す
光となることを願います。

小沼訓子

デザイン 小沼訓子(株式会社 組む)
制作 株式会社 田代合金所
designed by KONUMA Noriko Kumu Inc.
produced by Tashiro Alloy Inc.
photos by Armando Rafael (一部を除く)