光のしつらえ

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「眞敬寺来迎欄間」
阿弥陀如来が、今にまします

眞敬寺の二階、本堂の正面、天井を繋ぐ開口部に「眞敬寺来迎欄間」はあります。

寺院の欄間に多く見られるのが、松、梅、牡丹などの植物を彫ったもの、孔雀、蝶、鳳凰などの花鳥が彫られたもの、また天人が彫られたものです。眞敬寺本堂の欄間を作るにあたり思い描かれたのは、『仏説観無量寿経』に説かれている、浄土信仰をもつ人の死に際し、阿弥陀如来が諸菩薩を従えて人間世界に迎えに現れ、浄土へと導いてくれるという絵図「来迎図」でした。

14世紀頃に描かれ、国宝にもなっている知恩院の「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」や平等院鳳凰堂の「九品来迎図」など、来迎の様式はそれぞれにありますが、眞敬寺の欄間では、これまで平面で描かれてきた来迎の絵図が、欄間という立体におこされ作られました。

「眞敬寺来迎欄間」には、阿弥陀如来と二十五人の菩薩とともに、さらに現在の東京が彫りこまれています。西は富士山から東は筑波山まで。そのあいだに関東平野が広がり、東京タワー、東京駅、国会議事堂が並んでいます。眞敬寺が建つ浅草・蔵前のあたりには、隅田川が流れ、スカイツリーの姿が見えます。

そこには、 阿弥陀如来がまさに今、天からこの地、東京の蔵前、眞敬寺に舞い降りてくるその瞬間を映しだすかのように、人々をすべて浄土へ救いとって決して見捨てない姿が現れています。

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欄間の制作は、浄土真宗荘厳の伝統と、それらの工芸を絶やさぬように、眞敬寺の本堂と副本堂、そこにしつらえられた仏具の制作に携わっていただいた京仏具 小堀によって手がけられました。1775年から京都に続く浄土真宗の京仏具店です。小堀の仏具制作の歴史は深く、もともとは武士が使う道具を作っていた人びとが、江戸時代、戦(いくさ)がなくなったことにより武具が売れなくなり、彦根から京都に移り住み、仏壇を持てるようになった庶民にむけ、仏具を作ったのがはじまりであるといわれています。

小堀の方々とお話をしていると「お東さん」「お西さん」という言葉がよくでてきます。京都にある東本願寺を「お東さん」、西本願寺を「お西さん」といい、それぞれを本山とするお寺で荘厳される仏具の様式が少し異なっています。「お東さん」は徳川家に、「お西さん」というと豊臣家に関係しているともいわれ、京都には、本の中だけで学んできた歴史が、日常において自分が手にしたもの、見ているものの中に確かに存在し、現代にまで繋がっていることを感じます。

東京の街を歩いていて、地名や町並みにふと江戸を感じることがありますが、それは百年刻みでのこととなり、京都には、さらに千年以上に及んで続く風景が、地層のように積もり重なり、町の底深くには、すべての時を渡る水脈のようなものが流れているのを感じます。それは東京では感じることのできない感覚です。

仏具の制作工程は、いくつもの作業に分かれています。欄間は、まずはじめ仏具彫刻師によって、それぞの部位が彫りこまれます。その上から漆が塗られ、金箔が押されます。その後、彩色がほどこされ、それらのすべてが組み立てられてできあがります。
ひとつの工程が終わると、できたものは、次の作業場へと運ばれていきます。

「眞敬寺来迎欄間」は、住職のイメージをもとに、まずはじめに、日本画家である富永晃代さんに下絵を描いていただきました。その絵をもとに図案が起こされ、彫刻師へと届けられました。

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「眞敬寺来迎欄間」のすべては、京仏具彫刻師である川口真慈さんひとりの手により彫られています。
「この欄間は、とても特殊なものでした。仏像があり、建物があり、様々なモチーフが入っています。普通、仏像を彫る人は、仏像しか彫りませんし、欄間を彫る人は欄間しか彫りません。今回はその両方の要素がありました。やったことのない仕事をするのは、とても大変なことだと思います。しかもこの規模の仕事をひとりでやることはありません。でも今、この年齢だからできることがある、そんな思いから、この仕事をお引き受けしました」川口さんは三十代。彫刻師の中でもとても若い世代になります。

「実家は浄土真宗のお寺で、仏具に親しんでいたということもあるかもしれません。伝統工芸を学んだ後、そのまま自然とこのお仕事をはじめていました」

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「ひとりひとりの菩薩が象徴するものを感じながら彫っています。そういう意味では、小さな頃から仏教に慣れ親しんでいたということが、今、とても生かされているのかもしれません」

来迎図には、阿弥陀如来と一緒に下降される二十五人の菩薩がいます。手にはそれぞれの楽器をもち、音楽を奏でながら舞い降りてきます。

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「この欄間の中を流れる雲は、これまでの欄間で見られる雲とは、まったくちがう彫りかたをしています。阿弥陀如来と二十五人の菩薩が、舞い降りてくる瞬間の雲が流れるスピード感をだしたかったんです」

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阿弥陀如来とは、目には見えない「量りなき光」「量りなき寿(いのち)」を象徴するものです。それを形にして、存在として現すのが仏師です。

何もなかった空間から殻を破ってでてきたように、川口さんの手の中で、それぞれの菩薩が姿となって象られ、現れるのを見ていると、それらは、見えないようでいて、いつも私たちのすぐそばに存在していることを示しているかのように感じるのです。

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彫師によって彫られたものは、次に塗師と呼ばれる人たちのところに運ばれます。中谷漆工所さんでは、漆を塗るために彫られたものが研磨されます。迫力のある現場の中で、大勢の職人の方が、それぞれの作業を進めています。

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研磨されたものの上からは、漆が塗られます。漆を塗る刷毛には、女性の髪が使われ、とくに海女の女性の髪がいいといわれています。

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塗られた漆のはけ目を残さず、なめらかに研磨し仕上げる摺上(すりあげ)という工程がほどこされると、さらに金箔押師のもとへ運ばれます。

「眞敬寺来迎欄間」において、この工程は、金箔押師、春木さんによって手がけられました。東京の赤坂迎賓館や東本願寺 阿弥陀堂の修復にも携わった金箔押師です。「学校の先生が、こんなお仕事があるよって教えてくれたんです。それで職人さんのところに連れていってくれたのが、はじまりでした」それから四十年、春木さんはこの仕事に携わっています。

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漆が塗られたそれぞれの菩薩に、うすい金箔が置かれます。その上からひとつ押され、ひとつ押され、そうしているとゆっくりと菩薩の形が浮かびあがってきます。小さな菩薩が光り輝きだします。

固い馬の毛によってできた道具で仕上げがされ、さらに真綿を使ってしわが取られます。

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金箔を押されたものは、その後、彩色師のもとに運ばれ色がつけられます。そしてひとつひとつが組み立てられて完成します。

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ひとつのものができあがる過程の奥に、たくさんの人の姿があります。それぞれに携わる職人の方々がいて、それを運び届ける人がいます。さらには、それらの技術を支える道具をつくる人がいます。どこかひとつでも欠けてしまうと、すべては、そこで止まってしまいます。どれもがとても大切な存在になっています。

職人の方々は、大抵の場合、ひとりで作業をされています。しかし、作業に関わるすべての人たちが、目には見えない水脈のようなもので繋がっているのを感じます。それらすべてが繋がることで、ひとつの流れを生みだし、最後には見たことのない浄土の世界を、私たちの前に立ち現してくれます。京都という地だからこそ守られている仕事なのかもしれません。

京仏具小堀の小荒井さんはいいます。「これほどのお仏具を制作をすることは滅多にありません。50年に一度の規模のものです。お仏具についても、お仏具が置かれている様式についても、眞敬寺様を訪れて、それらを見にきていただくだけでも、とても貴重な体験になるのではないかと思っております」

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眞敬寺の二階の本堂に入り、「南無阿弥陀仏」と静かに称えます。すると、どこからか静かに風が吹きはじめ、二十五人の菩薩たちが奏でる楽曲が、かすかに雲間から聞こえてきます。ゆっくりとたゆたうように、私たちに近づいてくるのを感じます。今、まさに阿弥陀如来がここにまします。

制作 京仏具 株式会社 小堀
produced by Kobori Inc.
photos by Armando Rafael